IL DIVO "Papalin" --- パパリンの音楽の全て | [日本語] [English] |
ホーム | > | マシュー・ロック |
マシュー・ロック(Matthew Locke, 1621年または1622年 おそらくデヴォン - 1677年8月 ロンドン)はイングランド初期バロック音楽の作曲家。イギリス最初のオペラ作曲家であり、ヘンリー・パーセルに強い影響を及ぼした。
ロックの初期作品は、コプラリオやギボンズ、ウィリアム・ローズらが示してきたような、ガンバ・コンソートのためのファンタジアという古い伝統に完全に依拠している。とはいえチャールズ2世は、この古臭いポリフォニー様式に決して興味があったわけではなく、ヨーロッパ大陸のリズミカルな舞曲にすこぶる熱狂した。実際ロックは喜んで国王の需要に応えたが、外国人の宮廷作曲家が増え始めると、決まって次第に怒りっぽくなった。
ロックはイギリス音楽の防御を自分のなすべき使命と見做したのである。自分がイギリス最高の音楽家であると十二分に自覚していたが、それに酔ったり溺れたりはしなかった。その後はライバル叩きを繰り返したが、攻撃された一人のジョン・バーチェンシャーは、毒舌をもって反発した。曰く、「(ロックは)明らかにカッとし易い性格だった。国王がルイ・グラビュのような人物を重用すると、とりわけ苛々したに違いない」(ルイ・グラビュは、ジョン・ドライデンが非常に熱狂した《アルビオンとアルバニウス》の作曲家。没個性的で凡庸な人物だったらしい)。ロックはそれでもマスクに多くの影響を与えたが、ロックの作風は、たいてい国王の好みよりも「重厚な」ところがあった。
器楽曲や劇音楽に加えて、ロックはアンセムの作曲家でもある。ロックのアンセムは単純明快でわりあい聴きやすく、それでいてしばしば驚くほどの衝撃力を秘めている。ロックのアンセムはとりわけジョン・ブロウに影響を及ぼした。
生前ロックは、多くの同僚作曲家から嫉妬の目を向けられたが、非常に人気の人物でありつづけた。サミュエル・ピープスは、ロックの作品の価値を評価している。イギリス・バロック音楽の開拓者として、ロックはしかるべき地位に就いていた。パーセルは宮廷作曲家としてロックの後を継ぎ、ロックのために追悼音楽を作曲した。後世になるとロック作品はやや忘れられがちであったが、20世紀になると関心が取り戻された。かくてイギリスのバロック音楽におけるロックの重要性が、再認識されるようになったのである。
マシュー・ロック ◇再生:
high / normal / low ◇演奏時間: 17分7秒 ◇公開日: 2013年08月01日 |
【第3集】 マシュー・ロック / 組曲第1番 ◇再生:
high / normal / low ◇演奏時間: 7分59秒 ◇公開日: 2013年 8月 2日 (J) |
【第3集】 マシュー・ロック / 組曲第2番 【A=415Hz】 ◇再生:
high / normal / low ◇演奏時間: 9分8秒 ◇公開日: 2013年 8月 2日 (J) |
■当サイトのホームへの移動は、ページ先頭のリンクをご利用ください。
■Adobe Flash,Windows Media(R) Player,QuickTime Player, iPad/iPhone/iPod touchのSafari, Androidに対応しています。
各プレヤーの詳細は当サイトホームページ末尾をご覧ください。
■再生ボタンのnormal/low/highはビットレートを表しています。
通常はnormalを,回線が遅い場合はlowを,
回線に余裕がありさらに高品質をご希望の場合はhighをお選びください。